アダルトVRに関してポエムをかいた

Twitterに投稿したポエム文章を、ちょっと加筆修正してここに残しておきます。

 

うーん、街で好みの人見かけるとつらくなりませんか。「嗚呼僕はこの人と懇ろになることはないんだ」みたいな絶望感に苛まれませんか。目の前の高校生カップルみて「嗚呼僕はアイツの立場に立つ(立てる)ことは何があっても一生絶対にないんだな」と思いませんか。

卑屈でいわゆる”非モテ”的発想なのは自覚してますが、その想いが解消されるのではと思ったのがVRで。だから今(アダルト)VRやってるんだと思うなあ。そういう意味でまわりのVR勢の方とはスタンス(というかVRとの向き合い方)が少し違うのではないかと感じるときがある。

で、先日も呟いたけど今のアダルトVRに足りなくて次(将来的)に求められるのではないかと思うことがあって(もちろん自分が欲しいものでもある)。「目の前の子とそういった行為に及ぶことへの強烈な文脈的納得感」がないんですよ。「え、なんで俺いまからこの子とするの?」って思いたくない(設定だから、という言葉でも片付けられたくない)。

正直具体的な行為の部分に関してはみんな手を出すだろうし、したがってその質もどんどん上がっていくでしょう。

いわゆる"紙芝居作品"で僕(ら)が得ていたような物語への没入感というか、そういうものが欲しいんですよ。VRだからこそいままでは無かったような文脈的な納得感を与えられるのではないかと思うわけです。

この”納得感”というのは具体的にどういったものなのか、それはまだ自分の中でも輪郭は見えていません。

うまく表現できないけど「え、じゃあお前アダルトVRじゃなくてもよくね?」と言われるとそうでもない。そこは結果的にえっちに至りたい。

なんというか、「とうとう(僕が学生時代)獲得することはなかった、もしくはもう2度と獲得できないかもしれない感情の振動、時間経過によって変化していく心のときめきといったようなもの」を味わいたいんですよ。具体的な行為もいいけど、そちらもVRが大活躍する場ではないかと思うわけです。

味わった"それ"も結局ウソではないかという意見には、「ウソではないかと感じる部分は個々人の妄想力や受容力によって差が出る領域でしょうね」という感想しか(いまのところ)ないです。

少し話を逸らしますが、単純なズリネタとしてのアダルトVRは存在し得るのか、存在し得るとして何時まで生き残れるのだろうかと思う時がある。僕らはスマホの存在を忘れていないかと。具体的なサイト名は挙げませんがエロ動画は違法視聴し放題だし、成人向け同人誌はコミケ当日の夜に違法アップロードされるような世の中です。

抜くことだけ考えたら今や手軽にオカズ(ここでのオカズの明確な定義は僕の怠惰により拒否します)を入手できる。スマホはアダルトVRにとってのある意味脅威ともいえるのではと感じます。

アダルトVRついでにもうちょっと話を広げます。

先日のアダルトVR体験会に展示したとき、とある大学の団体にアダルトVRの今後について意見を求められました。簡単にいうと「アダルトVRによって少子化が加速する未来がくるかもしれないし、逆にVRでの体験のおかげでいまよりも少しだけ勇気を持って異性と交流が図れる人が増える未来がくるかもしれない。どちらの未来がきても不思議ではないし、どちらも可能性は高いでしょう」と答えました。

その時は言いませんでしたが、改めて考えると上に書いたどちらの未来が実現されようとも、”基本的に”アダルトVRは僕のような非モテ、恋愛的弱者への救済策(悲観的で卑屈なニュアンスでこの言葉を使っている)にはなるだろうなという思いです。

というわけで、叶うなら僕はこの考えに対して共感を得たいと強く願うし、(もしやるならば)共感するような人と一緒にそういったものを作りたいと思う。

蓋し蛇足ですが、僕はいままで誰とも付き合ったことがないし今後誰かとそのような状態になることは全く想像できない。

 

ポエムと謳っておきながら自らの臆病さ故に言い訳を書き残しておくと、もちろん既存のアダルトVRは否定しません。 

 

以上です。