換気って大事なんだなって。
まずこちらのツイーヨをば。
アレな状態になっているとき、太平洋戦争関連のwikiを読み漁る癖があることが最近の発見です。
— かみなが れお (@kaminaga_leo) May 5, 2018
特に凄惨な項が好ましいです。
太平洋戦争の各戦いの項は無残にも日本が敗退していく様になぜか引き込まれます。
最近は太平洋戦争関連は読み飽きたため、朝鮮戦争→そこから派生して毛沢東→金日成→金正日→金正恩→スターリン→レーニン→ムッソリーニ→ゲッベルス→尼港事件...など読んでました。
The Pacific、Band of Brothers、硫黄島からの手紙も観ました。
(ハクソーリッジ観に行きたかった...)
で、どうしてこうも戦争のアレコレに引き寄せられるのかとぼやっと考えたわけです。
(もともと軍事オタでもないし...)
鬱になってからというもの、割とほのかに冗談じゃなく死にたいと思うことが多いのですよ。
死を求めるというか、死について通常より考えすぎているので死を感じさせるものに自然と惹かれてしまうのかもしれません。
事実、そのようなものを摂取している間は落ち着いている...かどうかはともかく確実に嫌なことは忘れられるので。
さあここから徐々に脱線します。
上の話から派生して鬱と自殺の関係についてふと気になったので調べてみたら面白い生地が見つかりました。
この記事、全体的に非常に共感できる部分だらけでした。
「死にたい」という気持ちを口にする人は、たとえわずかでも「ひょっとしてこれを話すことによって何らかの救いが得られるかもしれない」という期待を持っています。
(中略)
打ち明けている本人は、「死にたい」と思っていることについて、決して罪悪感を持っていないわけではありません。むしろ、そんなことを考えてしまう自分を、執拗に責め続けてさえいるのです。
(中略)
そうして「死にたい」がどこにも言えないような状況がつくられてしまった場合にこそ、最も自殺の危険が高まってしまうことになります。
例えばこれらですね。
この記事を読みながら、このブログが心情を吐露するいい場所になっていたのだと気づきました。
病院の担当医師は仕事などと関係のない、フラットな立場から僕の話を聞いてくれる存在でありがたかったのですがその病院は5月で閉院してしまって....。
まあでも鬱だからといって常につらかったかと言えばそうでなく、数時間ではあるものの元気なときもありました。
・仲の良い知り合いと会い、話をしているとき
・何かしら自分を肯定される出来事があったとき
これらは効果が大きいなという感想です。
でもそれで元気が出ている間結局、決めなければいけないことを引き延ばし、やらなければならないことを後回しにしているだけだと分かってまた落ち込むんですけどね。
いままで有給を使って休んでいたのですがとうとう無くなって現在欠勤を続けてる状態です。
まあそうなると給与から控除されるわけで。
覚悟はしていたんですが5月の手取りは以下となりました。
想像をちょっと超えてきたので流石にびっくりです。
いよいよ金が無くなってきました。
映画行く金も病院に行く金ももう無いです。
(レディプレ1もパシリムもコナンも見たかったー!)
家で体操座りしてぼんやりすることが多くなってきましたが最近は日中暑くてかないませんね。
ああ、契約更新の話を進めるため大家さんに連絡しないといけないですね。
4/24のMirageSolo発表会から完全に界隈や開発など、いろいろなものから遠ざかってしまっている気がします。
もうだめですね。
まてまて!何か!何か楽しい話題はないか!!
ああ!友達が3億調達したって言ってた!おめでとう!
ああそうだ!別の友達は先週結婚式やったんだってな!めでたい!
あーーFacebookSpacesやっとできた!あれは楽しい!せっかくなら自撮りした画像をツイッタにもVR内から投稿したいぞ!釣り、楽しいけど全然釣れない!
よし!